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2009/04/15

適性診断 その9

どのような方途を,わたしたちは,タレントを持った若い選手の選抜のときに歩むべきなのでしょうか?

わたしたちは,タレントの選別と選抜のカギを,科学的な基礎をもった特許というような意味で期待することに警戒しなくてはなりません.手っ取り早く,高いレベルのスポーツパフォーマンスに転化するような、有効な活動による選別、選抜、促進の二三の例では、指導を虚偽に導くような面もみられました。つまり、タレントを巻き尺だけで捜し出すことで十分である、というような虚偽です。
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これが主要な方法であると宣言されるようなところではどこでも、タレント選抜の可能性が拡大されることはなく、著しくせまくかぎられてしまうのです。
したがって、次の点に注意をうながしたいと思います。本セミナーのテーマは、けっして図式的教条的に受け取ってはならず、むしろ、主要な関心事でもありますが、各連盟や各県ごとに、創造的に作り替え、各条件に適合したように応用するということが重要なのです。わたしたちの研究にとって、基本線となることは、社会全体の関心と同調し、実践のなかで正しいと証明されたものを尊重するということです。つまり、ジュニア競技スポーツの生命線の基礎は、いろいろな青少年スポーツです。青少年スポーツの基礎的な関心点は、それが、競技スポーツの認識からより強くプラスの影響うけ、個人的な競技努力からも浸透していくことです。それとともに、長期的にみると、スポーツ活動のなかで、青少年がしっかりとしたタレント選抜をうけることができ、競技スポーツトレーニングをより高い出力レベルから受けることのできるような前提が改善されます。
したがって、ここで、二三の問題について詳しくみたいと思います。それは、選別と選抜の有効な構築の問題に関する論議のなかで、重要とされた問題であり、現在もそうだとされている問題です。
問題は次のような疑問から出てきているところのものです。各連盟の選抜システム、あるいは、ドイツ体操スポーツ連盟の全体システム、一部は、各県の選抜システムが、優先されるべきかどうか、ということです。
答えは簡単です。選抜システムは、我が国の競技スポーツ全体の関心事を考慮したものではなくてはなりません。このシステムには、各連盟の興味と県の興味も含まれています。各連盟の興味が尊重されるとすると、それぞれの場合に、各連盟の中央の興味が問題で、それは、全体システムと関係したものとなります。とはいえ、この場合、州を、責任ある指導レベルと見なし、すべてが基本的に実現するとすれば、ここでも、全体の関心は、パフォーマンスセンタースポーツクラブと青少年スポーツ学校の中央によって作られた構造に導かれつつ、各連盟の興味関心と対峙することになります。
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多様な興味が中央の計画のなかで指導的にコオーディネイトされるのであり、その計画においては、我が国の競技スポーツの関心にもとづいて、部分的な関心が、できるだけ同調されているのです。この問題は、最初に解決されており、今後の研究のなかでさらに改善されていくものです。わたしたちはとはいえさらなる疑問にも考慮しなくてはなりません。わたしたちは、水泳のための全国的な選別を始めるという要求を理論的により明確にしたいとおもいます。その場合、次の点が熟慮されなくてはなりません。ドイツ水泳連盟の青少年グループプログラムは、当該の場所で一年中トレーニングできるという条件が水泳に対してすでに保証されているということを前提にしているということです。つまり、こうした具体的な事例では、物的な条件によって併せて考慮しておかなくていけない限界があるということです。これはしかし、連盟によっては一年クラスの選別と選抜ができないとはいえ、水泳のタレントを見放してしまうというような、一部の連盟の見解に対する回答であります。さらなる問題は、各連盟間の活動を協調したものとし、各連盟の興味関心を保証する、という要求です。これは、中央のスポーツ指導部や各州の課題です。各連盟には、もっとも進歩した連盟が後退することを期待するような、そうした考えをもってほしくはありません。タレントをもった選手の、選別、選抜、促進の、競技スポーツに対して向上させるべき質は、先導者のイニシアティブを求めています。それは、平均値への横並びによってはけっして達成できるものではありません。わたしたちの全システムは、もっとも進歩した部分の経験に基づいています。各連盟は、この経験を自分のものとし、その内容的なアドバンテージをもとにして、全システムに貢献できなくてはならないのです.わたしたちの全システムの枠内で、現在、各連盟のなかで、同じよさの成果があがっていないとすれば、原因は、二三の連盟が他の連盟にタレントを放逐しているということにはなくて、むしろ、二三の連盟指導部やその科学センターが、まだ、明確なイメージや表象を発展させるにいたっていないということにあり、そしてそれが明確になっていても、そのイメージを、その関係部署に責任をもって指導することによって転換することに対してあまり努力をはらっていない、とういうことにあるのです。そうしたイニシアティブにとって、現在、主観的な限界のほうが客観的な限界よりも大きなものとなっているのです.

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現在すでに,トレーニングセンターシステムによって,そうした広範な枠組みが手元にあり,それは,オリンピック種目すべての要求を平均して考えにいれたもので,この枠組みを質的に飛躍させようとする場合には,さらに充実させることのできる枠組みです.

もう一つの問題は,選別と選抜のタイミングをはかるという問題です.一般的な傾向は学齢期の最初に目標をおいています.この要求についてもう少し考えてみましょう.水泳,体操競技,フィギュアスケートを,比較的早期に最高パフォーマンス年齢に達する種目と考えれば,他のスポーツ連盟と,選別と選抜のための年齢という点,そして,選抜のための基準という点で,矛盾が出てきてしまいます.とくに,第一学年ですばらしい意欲をもっている子供にも認められないようなメルクマールが狙われています.多くは,トレーニングによってはまったく,あるいはほとんど影響を受けないような形態/形態上のメルクマールがそれです.同じスポーツ連盟が,早期の専門化が,タレントを間違って選抜したり育成したりすることの原因でないのかのどうか,という点について,三回の青少年スパルタキアードの評価のなかで,繰り返し疑問を投げかけています.
とはいえ,子供のときに,選抜と選別をできるだけ狭くおさえておけばおくほど,もっとも適性のある子供をトレーニングセンターに組み入れる確率も小さくなってしまします.学齢期のはじめに,できるだけすべての子供を把握し,それによって,できるだけ土台を広くするという考え方は,実践のなかでは受け入れられていないのです.タレント選抜のための土台を広げるということではなくて,わたしたちは,それを相当の範囲で狭めてしまっているのです.スポーツ政策的な観点からすると,さらに問題があります.1964年,ドイツ体操スポーツ連盟の題12回大会で,ジュニアの発達のシステムの構築と,青少年スパルタキアードが基礎づけられました.そのために,とくに,当時の方法と,当時の,青少年スポーツの要求レベルにもとづいて,競技スポーツ,種目ごとのレベル,青少年世代の身体的なパフォーマンス能力への社会的な要求,に対して,確実な発展はあまりえることができませんでした.こうした認識がその前提にあったのです.それ以降,競技スポーツのジュニア選手の選別と選抜全体を,青少年スポーツの全体システムとは完璧に切り離して組織するというような奨励/促進の要求に応じたときに,事態はプラスに転じはじめました.そして,私たちは各種目の進展状況を問題にするような状態を,こうした手続きによって新たに作り上げたのです.その端緒的な例を挙げておきましょう.

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ドイツ水泳連盟とドイツ体操連盟は,タレント選抜と促進という点で二三の成果をすでに上げています.現在,ジュニア競技スポーツ選手の全体は,トレーニングセンターと青少年スポーツ学校でだけ育成されています.同時に,次のような事態もうまれています.二つの連盟では,子ども以外では,競技スポーツの促進制度とならんで,種目の発達は認められないということです.この発達をこのまま放置しておくと,パフォーマンスセンターをもった種目だけになってしまうような時期がかならず到来することになります.
根本的に,選別と選抜を子どもの早い時期にまで拡張するという要求の背後には,暗黙の傾向があります.つまり,競技スポーツに対する青少年スポーツの発達への無関心という傾向です.むしろ,この指摘は,多くの人にとっては,極端かもしれません.わたしたちは,この結論を明確に指摘しなくてはなりませんし,次のことは容認することができません.つまり,スポーツジュニアの選別,選抜,促進の問題は,社会全体の興味とは切り離して考えたり論じたりすること,そして,のぞむとのぞまざるとに関係なく,1968年9月20日の東ドイツ国会決議でしめされ,そこから導き出された,1969年の第四回ドイツ体操スポーツ連盟大会によって明確にされた基本線に沿わないということ,です.タレントの認知,選抜,促進の複合体は,その多層性という点で,非常に複雑な問題であり,その科学化という点で,最初の一歩をまだなお踏み出すことのできていない問題なのです.したがって,各種目の観点からとか,あるいは,あれこれの問題の解釈のときに,異なる言説がでてくることは十分に考えられることです.とはいえ,我が国のスポーツ政策の基本線という点で,わたしたちは,グループ的な興味が存在しているのではなくて,むしろ,科学的な分析にもとづいた,社会的な発達と同調した統一的な立場が存在しているのです.わたしたちはそれを,全体としても,また,各集団,あるいは,わたしたちの一人一人がさらなる研究のなかで考慮しておかなくてはならないのです.また,他の視点からも,わたしたちは,選抜システムの構築のときに,一面的な定位にならないように気をつけなくてはなりません.

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わたしたちのジュニア発達システムは,ほとんどすべての種目のなかで,各促進段階での構造によって主に,児童期を狙う,ということを必然とせざるをえなくなっています.こうした道をへて,わたしたちは,大成功をおさめなくてはなりません.とはいえ,たとえば,子どものスポーツがまった発達していない国も少なくありませんし,そのなかでも,いろいろな種目で非常に効率的な活動を展開し,部分的にはわたしたちよりもよりよい成果を上げている国もすくなくありません.これらの国々は,青少年領域,高齢者領域のなかで,わたしたちよりも長所をもっており,それに対して,我が国の二三のスポーツ連盟はもはや興味をしめさなかったり,青少年がパフォーマンスセンターにまったく参加していない,という事例もみられるのです.わたしたちは,最初に,青少年人口の年間増加が数量的にわずかであるということが,わたしたちがすべてのタレントを把握することのできるようなできるだけ目の細かいネットをつくらなくてはならない要因の一つである,ということを確認しておかなくてはなりません.
わたしたちは,さらに,児童期にだけ,そして,児童期といっても,一学年の時期だけに努力を集中するということになれば,誇張ではなく,次のようにいうことができます.わたしたちのネットは,タレントを確認できる細かな目のネットよりも,それによってタレントを見逃してしまうようなより大きな隙間をもつことになる,ということです.そのための例をあげましょう:多くの連盟が児童期に適切な形態メルクマールにしたがって注目しています.とくに,平均以上の大きさというメルクマールが問題にされます.私たちの現在の認識からすると,しかし,一部分のみを把握することに成功しているだけです.そのほかのものはすべて —— 13から15歳では,より多くの部分になりますが —— 把握されもしなければ,後になっても組み入れられることはないのです.偶然が助けにならない以外は!
賞賛に値する漕艇については,最近,多くの賞賛すべきことが言われています.とはいえ,もしその連盟が,タレント選抜に対して現在の要求に将来図式的にこだわり続けるとすると,どのようなチャンスを連盟がもつのか,考えてみようと思います.漕艇連盟が規準としている身長は,15歳で,1%,つまり,男女併せて2500人になります.
ここでは,ドイツ漕艇連盟のこれまでの手続きを批判するのではなく,事実だけをあげておきましょう.わたしたちの研究では,選抜システムにおける主要な方途についてのべ,他の進路の可能性を示すとすれば,たくさんのものがあり,それを主要な道につなぐために,種目によってちがいますが,同じように歩むべき道です.

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